この表現にであったときは、文法のことをひたすら考えた。
まず、makeとmeetという
二つの動詞がある。
こんなことがあるのか。あるんだろう。
日本語でも文法的にみて、理解できない文章はある。
これは、そんな決まりきったフレーズに違いないと。
そうです。meetは実はmeatだったのです。もともとは、
ソーセージの中につめる肉のこと。
それが詰められなくなるほど、肉が不足している。
つまり、世の中が不況だということをいいたいのだとか。
でもどうして、meetに変えているのか。それが、依然不可解ではるが。
さらに悩ましたのが、
endsだ。終わり?
これもただの終わりというより、帳簿の最後の部分を指してる。
つまり、収支となるんだそうだ。
つまり、収支が(不況の時の)肉不足となる。
家計が苦しい、それでも何とかやりくりする。という日本語なんだそうだ。
そして、どうして、endsと複数形なのか。
それは、帳簿は収入と支出という二つがある。
それゆえに、複数形となるとうこと。
でも外国人が日本語をならうときに、「やりくりする」
という表現を瞬時に理解することはできるだろうか。
きっと私が理解できず調べに調べたように、「やりくり」を調べると思う。
とにかく、ソーセージの肉がでてくるところに、
英語圏の文化がかくれていることは面白い。
言葉は言(こと)を事(こと)ということを言霊として捉えた先人がいた。
つまり、言葉には文化の背景があるということ。
英語ももちろん言葉だけを理解する。暗記する。聞き取ろうというところから
はじまり、
やはり同時に文化や背景もしることが必要なのかもしれない。
そして、
文法的な理解と同時に文化背景の理解も同時に
学ぶことで、英語学習のモチベーションが保たれると信じたい。
無味乾燥な学習にならないためにも。
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